2007年8月20日月曜日

空襲

今は亡き祖母が幼少の私に良く話していた事を思い出しました。
爆弾が落ちてくるたびに逃げ回った。
祖母の親姉妹は空襲警報が解除され家に戻った時に爆発したそうです。
その日は親姉妹の家に居たそうです。
その時に警報が鳴り防空ごうに隠れ逃げていた時祖母は親姉妹と一緒に居たそうです。
空襲警報が解除になり祖母は嫁いだ先の家に帰ることになり別れたそうです。
この辺りは時限装置式の爆弾で家に着いてしばらくしてから爆発が起こったようです。
祖母はこの話の後には「私だけ生き残ってしまった」と言っていました。
そして「自分の親姉妹の墓に入りたい」と私に告げるのです。
空襲当時祖母の父は車屋だったそうです。
祖母は良く独り言のように車の社名をリズムを取りながら言っていました。
その社名は外車でした。
幼い頃の私はこずかいが足りないと祖母に向かって「家にお金が無いのはアメリカのせいなんだ。」
って訳も解からず言っていました。
少し大人になった私が振り返ってみても悲しい出来事ですよね。
私の父に祖母は「自分の親姉妹の墓に入りたいって言ってたよ。」と伝えましたが
受け入れて貰えず家の墓に入っています。

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